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以前、このコーナーで単語の繰り返し表現について取り上げました。

以前我曾在這個欄目里就單詞重疊表達寫過一些東西。

そこで取り上げたのは、

在那篇文章里提到了以下這些內容,

はいはい(是是)
いえいえ(不不)
なるほどなるほど(哦哦哦是這樣啊)
確かに確かに(確實確實)
全然全然(沒有沒有)
ほんとにほんとに、ほんまにほんまに(真的真的)
やだやだ(不要不要)
よしよし(好啦好啦)
まだまだ(還很……)

(根據語境不同語氣及意思也會發生變化)
詳細解說請參照:回應他人時慎用重疊表達

などでしたが、時を経るにつれて、この手の表現がどんどんどんどん広がってきているような気がします(今のはわざと重ねてみたのですがw)。

諸如此類。總覺得隨著時間的推移,這種說法漸漸漸漸流傳開去了(這里我特意加了重疊w)。

例えば、若い女の子が「私にはできない。できそうもない」という意味で「えー、無理無理、あり得ない」なんて言いますよね。なんで、あれ「無理」じゃ無理なんでしょうか? なんで2回繰り返すんでしょう?

比如,年輕女孩子想表達“我做不到。不可能做到”之意,會說“啊~不行不行,不可能”之類的吧。只一個“不行”為什么就不行呢?為何要重復兩遍?

前にも書きましたように、口調の問題(つまり、リズムが良くなる)とか、強調の意味とか、いろんなことが考えられます。まあ、この「無理無理」なんかは強調と言うよりは口調の問題で、昔からこんな言い方はたくさんあったようには思います。でも、何だかわからないものも増えてきたような気もするのです。

就像我之前寫的,比如語調問題(即節奏感會變好)、強調語氣等,有很多種可能性。不過嘛,這個“不行不行”與其說是強調,不如說是語調問題,印象中很早開始這樣的說法就有蠻多了。只是,讓人摸不著頭腦的說法似乎也變多了。

例えば、「ほぼほぼ」。「ほぼほぼ出來上がってきた」なんて使い方をするようですが、なんで「ほぼ」じゃダメなのでしょう?わざわざ重ねる意味合いが分かりません。それにどう考えても「ほぼほぼ」より「ほぼ」のほうが言いやすいでしょ?

比如,“差差不多”。他們好像是這么用的,“差差不多做好了”,為啥“差不多”就不行呢?搞不清特意重疊用意何在。再者,怎么想都覺得“ほぼ”比“ほぼほぼ”更容易上口吧?

もっとよく分からないのは、

更難解的是,

「つまりこれは?△□という意味ですか?」
ですです
なんじゃそりゃ?「そうです」じゃなくて「ですです」と受けます。確かにそのほうが相槌っぽい感じは出ます。

“也就是說這是?△□之意嗎?”
“這是這是。”
什么啊都是?用“ですです”的回答來代替“そうです(是這樣的)”。確實前者更有隨聲附和的味道。

でも、よくよく考えると「そう」があるから相手の言っていることを受ける形になるのであって、「そう」がなく、斷定の助動詞だけ(しかも2つも)あってどうするよ?と思いません?変なの。昔はそうそう見ない表現だったんですがね、こういうの。

不過,仔細想想會發現,有“そう”才能構成對對方所說之事的回應,沒有“そう”、只有斷定助動詞(而且還有倆)是怎么個事?你不覺得么?怪怪的。這種表達過去很少見啊,像這樣的。

でも、こういう風に文節を途中でぶった切る受け答えはここ何十年かの傾向になっていて、以前書いたように、

而像這種從句節中間猛地斷開的回應形式在幾十年比較流行,像我之前寫的,

「○○さんはいらっしゃいますか?」
今外出中です」

“○○在嗎?”
“外出中。”

「△△の件は決著ついたのか?」
まだ返事待ちです」

“△△那事了結了嗎?”
“還在等回復。”

何故こんな表現が定著してしまったのでしょう?

為何這種表達會在人們心中扎根了呢?

いや、定著はしていないか? でも、ほぼほぼ定著してきましたか? いやいやまだまだ定著とは言えませんか? ──やっぱり気持ち悪いですね。気持ち悪くないですか?

哎呀,沒扎根吧?不過也已經差差不多了吧?哎呀哎呀,還不能說是扎根了吧?——果然聽著很不舒服嘛。不覺得難受嗎?

「ですです」なんて言わないでくださいね。いや、「はいはい」と受け流すのもやめてくださいね、お願いですから(笑)

這時候你可別回應說“這是這是”哦。哎呀,也別用“是的是的”來搪塞我,拜托了(笑)。

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